One Day Diary
2012.1.11
境内の 枝に下がりて 年数え 子らの瞳の 先に花見ゆ
新年、明けましておめでとうございます。
上の短歌は、スタッフの「むっこ」が詠んでくれました。
今年初めて、事業所として草戸稲荷神社に一緒に詣り、
余程うれしかったようです。。私の名前、「数枝」に因み、
下の子の受験合格と、当所に来談する若い学生さん達の、
就職成就を願った歌である。私には、むっこの瞳に花が見えます。(^^)
素直で、純真な人なんです。昨年、新規事業を始めたことをきっかけに、
多くの方々との出会いに恵まれましたが、素直な人、パワフルな人、
率直な人、賢い人にも、寛容な人にも出会えました。・・・ということは、
私が多少なりともその要素を、もっていることになります〜♪
人間は自分がもっていないもの、体得していないものには、反応できません。
だから、こんなにもステキな人々に囲まれている私は、幸いなんです。
楽天的で純真な私を(^^)今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
新年のスタートに際し、当所ロゴの由来をご紹介します。
メインイメージは、2009年の皆既日食です。
太陽と月が、ぴったり重なる「時」を表現しています。
翼は、羽ばたき人生を旅する「力」。舞っている5枚の葉は、「場」です。
時節を観て、自分の力が、どのように場に影響するのか。
自由に自分の人生を生きるためには、そんな観点が必要と感じています。
ふくやまキャリア研究所は、「自分らしく働くために」何ができるかを問う、
キャリア形成支援・開発の場であり、キャリア教育の発信地ですから、
当所を訪れる方々が、柔らかくしなやかな翼で時流に乗って、
自由に羽ばたけるように、必要な場を提供できるように、願いを込めました。
5枚の葉は、選択・決断・行動・勇気・使命を、表しています。
2011.12.30
今年は我ながら、よくがんばりました。
長くて濃いような、短くてあっという間の1年だったような、気もする。
この1年で、私は変わったような、気がする。
様々な体験と、沢山の感情と、日々の生活が、私を変えていく。
「自分はいつまでも変わらない」と、思っていた。
でも今は、自分の変化が分かる。小さな字が見えにくくなったり、
食べ物の好みが変わったり、昨日できなかったことが、今日はできる。
これまで気にしていたことが、これからは気にならない。
「私は変身できる」と思うと、愉快で楽しい。私は進化し続ける、来年も今からも。
来る年は、龍の年。わが家は、父母に夫、下の息子の干支が辰年なので、
4匹の龍がいると想像してみると、これまた面白い。黒龍、赤龍、白龍、緑龍。
辰年の人は、好き嫌いがはっきりしていて、感覚が鋭い。気性も激しい人が多い。
照れ屋で寂しがり。そのクセ、気位が高い。なぜか、滝に行きたがる。
十二支で唯一、現存しない龍。現代まで、生き延びることができなかったのだろう。
天空を駆ける龍と、鋭敏な年男、年女達にあやかって、来年に当所の命運を懸ける。
私は龍にはなれないが、父母の清冽な生き方が好きである。
夫と下の息子の好き嫌い(特に食べ物)には困惑するが、純粋性を感じる。^^;
「5年後幸せになる」Koji Namazue Illustrations
2011.11.23
前回この日記を書いてからずっと、書かなかった。
今年は、色んなことがあって。それでも、2011年はあと、1ヶ月あまりで暮れてしまう。
この日記に「霧島火山が怒っている」って書いた後、東日本大震災が起こり、
計らずとも数週間後に、私は小さな事務所を設けた。社会は大きく変化し、
私の生活は小さく変化した。世の中は、無常である。そして人は常に、試される。
私たちは動く地上に、生きている、ことに気づいた。
山も川も、動かないと思っていたものが、実は動くのだ。それが、自然である。
あらゆるものが、自然に移り変わってゆく中で、変わらないものが自分の中にある。
自分の周りをよく見て、社会にふれて、対話しながら生きてゆく。
この程、HPをリニューアルする。
起業してまもなく、「5年後幸せになる」ことを目指して、HPを開設した。
そして、幸せになった。今は過去を遡り、幼女の頃を取り戻したいとさえ、思う。
幼少の頃、私は色んな命と対話ができた。川沿いの背の高い草や、動物たちと。
木に登ったり抱きついて、木々の波動を聴いて、風を感じた。
過去と未来。どちらも自分の人生そのもので、自分のあらゆる資源を総動員して、
働いて生きてゆくことが、今求められている。それは、当然に自然なことである。
2011.2.7
立春を境に、ちょっと暖かくなってきましたね!
昼間、陽だまりに包まれていると、猫とうたた寝をしてしまいます。
先日、友人からいただいたチューリップの蕾がうっすらと色づいていたり、
庭のユキヤナギが小さな芽をふくらませていたり、春の気配を感じます。
私は今は、春が好きです。これまでは、実は春が苦手でした。
花粉症だからということもありますが(^^;)、色んな面で分かれ目、節目であり、
身体的にも弛みが出易く、変化についていけないというか、切り替えが難しいというか。。
潔くないのです。ぐずぐず迷っている私や分かれ目に心を残している、自分がいるのです。
そんな自分が、ほんの少しだけ、変容してきたような気もします。
親しい人との別れを惜しみ、また新たな出会いがあり、それを何度も繰り返す。
春は短く、活動的な夏を迎え、秋には落穂し、冬は篭り温存する。そしてまた、春を迎える。
そんな自然のサイクルが、やっと私の身体に、なじんできたのかもしれません。
春に咲く桜が好きなのも、生きる喜びと、生きる哀しさを、
数日に限って満開に咲きほころび、潔く散って逝く花の姿に、見るからかもしれません。
また、必ず春は来るのだから。 今日風が冷たくても、明日雨が降ろうとも、
唇は謳い、腕には大切な子ども達を抱いて、微笑みながら前に進んでゆくとしよう。
2011.2.3
今日は節分、明日は立春(旧正月)なのに、今年はなんて寒いんでしょう。
霧島火山は怒り、零下の気温に大雪。激怒と冷酷、そんな二面性を思わせる。
どちらにしても、自然は対極的な激情をもって、人を揺さぶっているのだ。
何でも、ほどほどで折り合いたい。適度に適当、「いい加減」が良いとは思うが、
これがなかなか、現実社会では難しい。白黒はっきりさせたい人が多い気がする。
結果が早く欲しい。数字の結果があれば、他人に説明するには、都合が良い訳だが、
大切なことは感じるものが多く、グラフ化しにくい。
慈しみ育てるものは、なかなか結果が出ないものだ。
例えば、それは人のモチベーションであったり、子育てであったり、対人関係性であったり。
同じ現実に向き合っていても、あの人と私では、捉え方が違い、判断結果が違う。
いつまでも気にする人もいれば、さっさと忘れてしまう人もいる。
どこで折り合いをつけるのか、渦中の当人に由るわけだが。。
現代社会は、良くも悪くも、自分に由る。つまりは、自由に生きることができる。
それは意外に難しく、厳しいことなのかもしれない。白と黒、対極的な狭間で揺さぶられている。
それでも、私は伝えたい。自由に生きよ。自分らしく生き、自分らしく働くために。
2011.1.2 「正夢」
あけましておめでとうございます!新しい1年の始まりです。
このページを読んでくださっている「あなた」に、感謝いたします。
昨年も色んなこと、色んな出会いがありました。私自身にも、色んな発見がありました。
中年になっても、人生には無駄がないし、飽きることはありません。
本年も成長し、進化し続ける私でいたいと思います。どうぞお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
今日のダイアリーのタイトルは「正夢」にしました。
残念ながら、絵に描いたような素晴らしい初夢を見たわけではありません。
そもそもふとんに入ると、3秒くらいで眠れる私。夢なんて見ているんでしょうけど、ほとんど憶えていないのです。
ただ昨年、ひとつだけ印象深い夢を見ました。大きなニシキヘビ!が登場する夢です。
私は本当に時々ヘビの夢を見るんですけど、他人に言うとヘビの夢は縁起がいいとか、財運がある夢とか、
根拠なく?慰めてくれるものの、私はとっても苦手です・・・ヘビ。動物園のガラス越しに見るのもツライ感じ。。
現在、勉強しているゲシュタルト療法(注)のワークに、夢のワークというものがあって、夢で見るものは、
全部自分であるとされています。夢のワークは、本人が予想できないダイナミックな展開をすることが多く、
ワークをすると深い示唆を与えてくれます。昨年末、夢のワークに挑戦された方々から刺激を受けて、
ニシキヘビの夢を思い出したわけです。ワークするなら、できれば他の夢が良かったんだけど、
大きなニシキヘビと眼が合うという、インパクトの強いその夢しか思い出せなかったので、試してみることにしました。
結果はやはり、私自身がびっくりするような意味があり、深く感動しました。
この夢は、正に「本当の自分」にふれる夢でした。折りしもお正月、私の「正夢」のワークを記録しておきたいと思います。
ゲシュタルト療法の夢のワークでは、その人が見た夢の世界に入り、見たものになってみます。
私の夢をもう少しくわしく説明しておきますと、ある日多国籍のお料理が楽しめるというパーティーに招待され、
食いしん坊の私は喜んでテーブルに近づいていくところです。沢山のごちそうが用意されていて、
遠巻きには人の気配がありますが、私の側には人はいません。テーブルの料理をよく見てみると、
美味しそうな料理の他に、見ただけじゃどんな味がするのか?見当がつかないようなお料理もあります。
そしてふと横を見ると、そこには一本足のテーブルの上に、ど〜んととぐろを巻いた茶色のニシキヘビ(もちろん柄つき)が、
盛り付けてありました。ひぇ〜こんな料理もあるのかと、跳び上がって離れましたが、よく見ると動いているのです。
もう一度、とぐろの上の方を見ると、ニシキヘビの眼が私を見下ろしているのでした・・。私は呆然と、固まってしまいました。
そんな夢の世界に入っていきました。
とりあえず、ニシキヘビになってみました。「私はニシキヘビです。周囲を見回しています。色んなものが見えます。」
・・・他に、言葉は浮かんできません。やっぱりいきなりヘビになってみても、意味不明だなこりゃ。
次に一本足のテーブルになってみました。「私は一本足のテーブルです。」
「私はたった一本の足で、大いなる意思を支えています。」ちょっと、ここでびっくりです。
大きなニシキヘビは大いなる意思?次は何になってみようか。。ヘビのにしき柄がギラギラしています。
「私はヘビのギラギラしているにしき柄です。私は金色の光を放ちます。光を放つようなエネルギー」
その瞬間、ギラギラした金色の光を放つにしき柄は、うろこのように様変わりし、そのうろこが総て逆立ちました。
ニシキヘビは龍に姿を変え、燃えるような眼をして、私を見下ろしていました。その龍は父だと、すぐにわかりました。
父は辰巳の生まれ。もう一度、今や龍となったニシキヘビに、なってみました。
「私は光を放つ龍です。私は世の中の雑多なものを見下ろしています。」・・・私に何が伝えたいのかな。
「ときは今。必ずつなげ」・・・何をつなぐの? 「命。大いなる意思は、一途な(一本足の)信念で支えられている。」
龍は、私の中に眠っていた父性だと思います。昨年秋ごろから、10年近く前に亡くした父のことを、
たびたび思い出し、父とのワークを終えたばかりだったのです。この夢を思い出したタイミングもばっちりです。
豪胆でふてぶてしいほど、物怖じしない人でした。一升瓶の酒をこよなく愛し、娘の私に多くを語ってはくれませんでした。
それでも、私は父親にとても似ている。それが今になって、よく分かるのです。我が強くて、頑固でしぶとくて、
自分を通すときには一歩も引かない。。 若い衆を引き連れて、働くことが大好きな父でした。
経営者としては、どんぶり勘定で難ありだったように思い出されますが、若い人には慕われていました。
汗臭いあんちゃん達は「親父は日当をはずんでくれる」って、娘の私に飴やお菓子をくれたものです。
父が私に、今になって伝えているのです。「大きな強い意思をもって、若い人や子ども達の命をつなげ」と。
働くことは生きること。私は今年、不況下において就職に困る若者達の支援に尽力しよう。
私にできることは、何でもやってみよう。世の中の雑多なものを見据えて、エネルギーを放つのは「今」なのだ。
(注)ゲシュタルト療法:1950年代にフリッツ・パールズにより開発された精神療法。
人が抱える未完了の問題を「今ここで」の気づきの体験を通して、解決・完了させる。
2010年7月に日本ゲシュタルト療法学会が設立され、学会理事長の百武正嗣氏を数年来師事している。